So-net無料ブログ作成
検索選択

中山岩太「神戸風景」 旧居留地 洗練されたイメージの源流(産経新聞)

 はて、ここはどこだろう? 白黒写真の真ん中に写るのは、玄関が柱で飾られたクラシックな建物。その奥に古城のような尖塔(せんとう)も見えている。手前で風に翻っているのは十字の旗だ。行き交う、おしゃれな帽子姿の男たち。古き良き時代の欧州、それともアメリカか…。

 戦前の日本を代表する写真家、中山岩太(いわた)(明治28〜昭和24年)が撮ったこの写真、神戸を舞台にしている。太平洋戦争前、昭和14年ごろの旧居留地。この時期に中山が撮影し、後の神戸のイメージづくりにも一役かったとされる一連の神戸風景からの一枚だ。

 現在、西洋風の近代建築とモダンなビルが軒を連ね、神戸で最もファッショナブルな町並みの一つ、旧居留地。三宮神社の南の筋、神戸市役所・東遊園地の西の筋、鯉川筋をそれぞれ北、東、西の境とするこの区域(約22ヘクタール)には旧居留地15番館、同38番館など9つの近代建築が現存する。

 それらがオフィスとして、また小売り店舗・レストランなどに改装され、実際に使われながら残るのは神戸ならではの景観。港からの潮風に、今も、異国の香りを感じとる人は多い。

                   ◇  

 米、仏で写真家のキャリアを華々しくスタートさせた中山は、東京滞在を経て、昭和4年、兵庫・芦屋に移住する。11年には神戸大丸に開かれた写真室を任され、地元での活動を本格化する。

 乾板を何枚も重ねて焼き付けたりするフォトモンタージュなどの手法を使い、幻想的な画面を描出する「芸術写真」で一線を駆けた中山。スタジオでの写真を得意とし、デッチあげても、美しいものに作りあげたい、との思いを抱いていた。

 その中山が、都市の実写を手がけた背景は何だったろう。当時、神戸周辺は私鉄による開発で新たな観光施設が整い、神戸市は主に外国客向けに観光事業の拡大を企図していた。パネルやパンフレットで、視覚的に「モダンな国際港湾都市・神戸」のイメージを打ち出そうとし、中山ら芸術家に白羽の矢を立てたのである。

 一方、神戸の実態は造船など重厚長大産業の町であり、戦時下で撮影に制限もついた。中山はモチーフをぐっと絞り込んで、都市の姿を構成する。

                   ◇ 

 兵庫県立美術館(神戸市)で開かれた「写真家 中山岩太」展(4月17日〜5月30日)には、中山の神戸風景約60点が出品され、うち旧居留地が1割を占めた。ひと目では場所が分からない、雨にぬれた路面だけの作品も複数あった。

 旧居留地の作品も、写っている建物を、近代建築に造詣の深い、ひょうごヘリテージ機構神戸地区の中尾嘉孝さんが確認したところ、20分ほどで歩ける範囲での撮影とわかった。

 「中山は神戸を百科事典的にとらえたのではなく、鋭い感性で、近いところを集中的に撮り、切り口を変えて多様性を見せている」と、同美術館学芸員の相良周作さんが評する。

 作品は、当時の神戸市が伝えたかったイメージを内外に広め、今も神戸に抱かれるエキゾチックな感覚の一つの源流となったとされる。都市に向けられた、芸術写真作家としての中山の視線。神戸のイメージを演出し、洗練させている。(坂下芳樹)

                   ◇

【メモ】中山岩太と風景写真

 中山岩太は海外では、東京美術学校(現・東京芸大)卒後に滞在したアメリカ、フランスなどの風景写真を撮影している。国内では大阪なども撮影しているが、プリントの作品として残るのは神戸風景が主力。神戸では旧居留地のほか、元町、新開地、湊川神社などもロケ。日本的な場所でも大胆に陰影をつけるなどして、独特の雰囲気を醸し出している。

                   ◇

 歌舞伎や小説、写真、歌…。さまざまな作品に登場する舞台の“今”を訪ねます。

<スポーツ基本法案>自公が再度衆院に提出(毎日新聞)
民主・小林衆院議員、国会閉会後の辞職を表明(読売新聞)
<火災>君津の住宅全焼 遺体は10代姉妹(毎日新聞)
男女差「違憲」で控訴断念=顔やけど跡の障害認定―厚労省(時事通信)
<菅内閣発足>「最小不幸社会つくる」強い経済に意欲(毎日新聞)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。